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【第21話】ガウディ物語 ~建築家として羽ばたく~

カテゴリ:スペイン語を話す国

Hola a todos!
みなさま、こんにちは!
梅雨が明けていないにも関わらず、猛暑真っ最中の今日この頃ですが、
早くも夏バテしていませんか?

私は早くも梅雨バテ&夏バテです。当校の先生たちも、南(セビリアやマラガ、カナリア諸島など)
出身が多いので暑さには強いはずなのですが、梅雨の時期になると毎年ぐったりしています。気圧の変化に湿気の多さ、これはたまりません、どうかご容赦願いたいところです。

スペインは湿度が低く、からっとしているため、建物に入れば割と涼しいのです。朝と夜は
気温も下がりますし、日本のように朝も夜もずっと暑い!ということはないのです。
まったくもう、24時間営業はコンビニだけにしてもらいたいものです。湿気に慣れていない人に
とって、梅雨は地獄です。空気は重いし頭は痛いし、引力が普段の5倍!?と思うほど体は重いし、傘は忘れちゃいけないのし何故か忘れるし、良いことなしです。
この時期は先生達、つらそうです、はい。ここで疑問に思うのが、日本で生まれ育っている皆さまは平気なのでしょうか?湿度の低い国で育った人たちみたいに、ふーふー言ってるわけではなさそうです。私も生徒さまに聞いてみると、「大丈夫ですよ。一年を通して、季節によって体調が変わることはないです。」とおっしゃるのです。まさかの「オールシーズン・ベストコンディション!!」
うらやましーーーーー!!!季節や気圧の影響を受けまくりの私には羨ましい限りです。
みなさまが思っている以上に日本在住の外国人は梅雨に弱いのです!!!けれど、これからは私も、「ふっふっふ、誰に聞いているの?私は梅雨とはマブダチ(死語)よ。」と言えるように志を高く持っていたいです。

さて、いったい何の話だったのかという感じですが、前回に引き続きガウディの話をいたしましょう。

前回はガウディの幼少時代の話をしました。今日は建築家になったガウディがどういう道を
進んでいったかを見ていきましょう。

建築学校を卒業したガウディは建築家として様々な作品に取り組んでいくことになります。
ガウディは建築学校の生徒だったころは、決して成績が良かったわけではありませんでした。若いころから人とは違う感性を持っていたようで、建築家としての資格を得たとき、校長だった人物が、

「今日、一人の若者が建築家になった。彼の中にあるのは狂気か天才か、いずれ時が答えを出してくれるだろう。」

と言ったそうです。この若者は天才なのか狂人なのか、どちらにしても普通の男ではない、
そう思われたいたのですね。たしかに、今、現代に生きる私たちが目にしても、ガウディの作品はユニークで独創性に溢れるものに見えます。けれど、奇抜すぎる奇妙なデザイン(なんじゃこりゃ!)と感じる人も多くいます。ぐねぐね曲がった建物にタイルがちりばめられたトカゲ、今まで見たことのないデザインや世界観に最初は戸惑い違和感を感じる人も多いのです。
現代でもそうなのですから、当時の人々にとっては奇想天外が過ぎたのではないかと思いませんか?
私も初めてガウディの作品を見たとき、よくこの建物が百数十年も前に建てられたなと思いました。このデザインが受け入れられ、認められ、それに予算が当てられ、実際にそれが建てられた、その事実に驚きました。

しかも、ひとつだけでなく多くの作品が造られたのです。
私が旅行が生きがいのような人間なので、今まで色々な国に行きましたが、ガウディの作品のような建物は見たことがありません。類を見ないものだと思います。そして、そういった才能が埋もれることなく、時代と合わなかったと追いやられることなく、ちゃんと評価され、思う存分そういった作品を生み出すことが「可能だった」ということに大きな感動を覚えました。それはつまり、当時の人々がとても進んだ感性を持っていたということの証だと思います。

前回も触れましたが、ガウディは激しい気性の持ち主でした。器用な性格ではなかったため、怒り、情熱、夢、こだわり、そういったものすべてを、ただ純粋にまっすぐに作品たちに注ぎ込んでいったのです。

けれども、大事なことを忘れてはいけませんね。建築にはお金がいります。筆と紙があればできるものではありません。建物をつくるには、お金!お金が不可欠です!!建築家としてデビューしたガウディ青年の夢を実現させるためには、どうしても資金が必要です。
そこで!ガウディは運命の人と出会います。

【エウセビオ・グエルとの出逢い】

ガウディの作品の多くにその名を残している実業家、エウセビオ・グエルとの出逢いがガウディ青年の未来を大きく変えました。
グエルは実業家でもあり、政治家でもあり、芸術を心から愛した懐の広い人物でもありました。バルセロナの発展に大きく貢献したと言われています。
世の中に大富豪はたくさんいますが、自分のためだけにお金を使う、もしくは貯め込んで
預金額を見てほくそ笑むという悪趣味な方もいると聞きます。しかし!グエルさんはそんな
ミニプチ人間ではありません。得たお金を惜しみなく芸術の発展に使い、多くの才能ある
芸術家を育てることに情熱を注ぎました。

では、ガウディはどのようにしてグエルさんに出会ったのでしょうか?

その出会いはまだガウディが若いときに訪れました。建築学校を卒業してから間もなく、
ガウディはある革手袋店から依頼を受けます。依頼の内容は、パリ万博に手袋を出展するためのケースを作ってほしいというものでした。ガウディの独特なデザインは評判になり、それを会場で見たグエルさんも目を輝かせたそうです。この頃のグエルさんはまだ 32歳。経歴があるとか著名であるとか、そういうことには関心を示さず、「これは素晴らしい才能だ!」と優れたものを見抜く力と、自分の感覚を信じる素直な心の持ち主だったのでしょうね。

バルセロナに帰ると早速そのケースを作った人物を探し当て、ガウディの元まで訪ねて行ったそうです。いいですね、そういう情熱に突き動かされる瞬間は、大きな未来を生むものなのですね。

グエルは心からガウディを信じ、ガウディの才能を伸ばすためなら惜しみなく資金を提供しました。ガウディのパトロンということで有名な人ですが、二人の間には固い友情、信頼、そして絆があったと言われています。兄と弟のような感覚だったのかもしれませんね。ガウディは建物を造るとき、何にどれだけの費用がかかったかを細かく記録していたそうです。贅沢を嫌う人だったので、石や割れたタイルなどを用い、無駄のない方法を常に考えていました。グエルさんもそれをよく理解していて、「こんなにかかるのか!」という意見が出たときは、「報告書を見て、「これだけか」と言ったそうです。ガウディが良いものを作るためならいくらでもお金を用意し、それを実現できるように実業家としての自分を成長させていったのです。

ガウディの素晴らしい作品の中にグエルの名前が入ったものは多くあります。そうでないものも、グエルの力と愛がなければできなかったものばかりです。そう思えば、ガウディがグエルに出会い、その才能を見出してもらい、長きに渡って援助を受けることができ、多くの素晴らしい作品を生み出していくことができた、そのすべてが奇跡のように思えます。グエルさんは儲けたお金を貯蓄したまま人生を終えるのはつまらないと思っていたのでしょうね。彼のおかげで今を生きる私たち、そして未来を生きるものたちが、ガウディの作品を見ることができるのです。ガウディの作品に限らず、世に生まれ、長く残る作品の多くは、それを可能にするために力を貸した人たちがいたからこそだと思います。芸術を愛する心というのは本当に大きく深いものですね。

では、グエルの名のつく作品を紹介しましょう。

【グエル別邸】

ガウディがグエルのために行った初めての仕事です。ガウディが造ったのは、入り口の建物、噴水、門、壁などです。建物自体ではなく、それに付属するものを作ったわけですが、グエルの期待に見事に応えました。中でも「ドラゴンの扉」が特に有名です。ドラゴンが叫んでいるこのデザインは、当時は色ガラスの目が光り、扉を開け閉めするたびに指が動いていたそうです。さすがガウディ、芸が細かいです!グエルはこの門を特に気に入り、これを機にガウディへの信頼が確固たるものになりました。ドラゴン グエル別邸  ドラゴングアル別邸2

【グエル邸】

グエル別邸のあと、すぐにグエルに依頼され、作った作品です。
後にこの作品は「ガウディ初期の最高傑作」と言われるようになります。
まだ建築家として羽ばたき始めたばかりのガウディ青年は、どうしたら最高のものを造れるか頭を悩ませました。
ガウディは何度も「自然界に直線は存在しない」と言っていました。ガウディはこの作品を手掛ける中でアーチ型のデザインを取り入れるため試行錯誤を重ねたそうです。
最終的に20以上の案から2案を選び、最終的にはグエルが最終案を選びました。
ガウディが一人で決めていくのではなく、グエルと話し合いながら造っていきました。
まさにこの邸宅は、グエルとガウディの二人で築き上げた傑作なのです。
1889年に完成したグエル邸は大きな反響を呼びました。新聞にも取り上げられ、ガウディの才能が広く知られるきっかけになったのです。
palau-guell1  グエル2

【グエル公園】

私も大好きな公園です。
この公園は元々、「田園都市」として計画されたものでした。田園の中で自然とともに暮らせる場所を作りたかったグエルがガウディに依頼したのです。
ここでもガウディの類まれな才能が惜しみなく発揮されます。おとぎ話から出てきたお菓子の家のような小屋、色とりどりのタイルが織りなすモザイク、個性的なデザインの生き物たちの装飾などなど、
夢のような世界が広がっています。けれど、その構造は緻密に計算されています。車が通るところを分けて作り、そのために使われたのは道路整備のために削られた石でした。
地形に合わせた無駄のない構造、職人さんたちにとって作業しやすい環境、訪れる人が心から寛げる空間、自然と融合したデザイン、そのすべてがガウディらしさを物語っています。
グエル公園1 グエル公園2  グエル公園3 グエル6

グエル公園4 グエル公園5

【コロニア・グエル教会】

バルセロナの郊外にあります。

グエルは1890年にバルセロナ市内にあった繊維工場を、郊外にあるサンタ・コロマ・ダ・サルバジョ市に移しました。それに伴い、
多くの労働者がこの町に移住します。そういった労働者やその家族のために作られたのがコロニア・グエル教会です、1908年~1915年にかけて工事が進められました。
途中でサグラダファミリアの仕事へガウディが行ってしまったため、地下礼拝堂のみの未完成作品となっています。グエルは労働者の生活環境の向上に努め、文化も発展させようとしました。
電車で行かなくてはいけないので、ここまで足を運ぶ人は少ないですが、機会を作ってぜひ訪れてほしいです。それだけの価値があると思います!
Barcelona-Colonia-Guell-2  1Colonia-Guell

教会いす  教会2

それでは、今回はこれくらいにしますね。次回はガウディの晩年について話したいと思います。

カサ・ミラやカサ・バトリョについても書きますね。

では、夏バテに気をつけて元気でお過ごしくださいね!
Hasta luego~!

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